人権概念の生成過程と東アジアを中心とした現代の人権問題について考える

人権の概念は中世ヨーロッパに芽生え、17世紀には「権利請願」(1628)「権利章典」(1689)が成文法として登場するが、これらは天賦の人権を宣言するものではなかった。近代に至り自然法論が登場した当初は、個人の理性・欲望など世俗的な個人主義に基づいた。この為、自然法に基づく権利の履行のためには、野球で例えるとルールとアンパイヤとコミッショナーが必要なように、「制定法・成文法」「公知公正な裁判官」「執行権力」の3つの要素が存在する必要があった。これは個人個人が自己の考えを無秩序に行使すると、万人の万人と万物に対する闘争を生み出すからである。

トーマス・ホッブスの『Leviathan』では、人間の悪徳を強調しそれを抑止する為に、国民は各人の有する自然権を放棄し、社会契約を結んで国家をつくり、各人は国家の統治者であり絶対的主権を持った国王に自然権を委譲(譲渡)して、国王の統制力に服従する必要があると説いた。ホッブスの「絶対主義的な社会契約説」は、絶対王政を擁護する結果となったが、権力の由来を人民の意思・契約に求めたところに意義があり、後に「コモンウェルス」としての近代国家の原理を構築するまでに至った。

しかし、このような絶対国家による社会契約説を民主主義的な政治理論に変えたジョン・ロックは、法による支配・主権在民・権力の分立・多数決の原理を明らかにし、政府が信託した人民の権利を奪うときには、人民に抵抗権が認められるべきだと主張し、立法権・執行権・外交権(連合権)を柱とする三権分立論を展開した。このロックの思想はアメリカ独立革命や各国の市民革命に大きな影響を与えた。モンテスキューはロックの理論を継承し発展させ、『法の精神』を発表し、三権分立は立法権・行政権・司法権の抑制と均衡を図るものであると考えた。またルソーの社会契約の考え方は、一般意志による徹底した人民主権、直接民主制を主張した。この近代民主政治・国民(人民)主権主義の理論は、後のフランス革命に多大な影響を与えた。 

このような社会契約説を背景にしているのが世界最初の人権宣言といわれるヴァジニアの権利章典(1776年)である。これには、万人が生まれながらにして等しく自由をかつ独立しており、一定の生得の権利を有するとされ、そのような権利として財産の所有と共に、幸福追究の手段を伴う生命、自由の享受、抵抗権、革命権が挙げられ、独立宣言より具体的に列記している。また最初に自由権を明確に規定したことに意義があるといえる。アメリカ独立宣言(1776)は、基本的人権の尊重、国民主権、国民の抵抗権・革命権の承認が規定されている。人および市民の権利宣言(1789)は、当時イギリス・フランスが世界の中心であった為、世界に与えた「衝撃」と「普及力」からその影響力はヴァジニアの権利章典の比ではない。わずか17条であるが、国民主権、人権の不可侵、所有権の保障、権力分立などが規定されており、身分制という社会構成原理を否定し、近代憲法の核心を形成する人権保障の基礎を確立したところに大きな意義がある。

これらの市民革命を経て成立した人権宣言は、国家権力といえども奪うことができない人権の絶対不可侵性が挙げられるが、その影には自由放任体制の下、雇用年齢・最低賃金・長時間労働が定められていない原生的労働関係の存在、性差別、植民地と民族・人権差別などがあったことを見逃してはならない。

フランスにおいては女性が普通選挙を認められたのは、フランス革命後およそ1世紀を経てからであり、自由放任主義は資本家階級と労働者階級という新たな矛盾が生じ深刻な社会問題を招くに至り、パリ市民の平均寿命が1860年で28歳、1840年で20歳と生産力は上昇しているが寿命は低下するという戦争以外では極めて異例な現象を引き起こした。 市民革命は市民の自由に対する国家介入と抑圧の排除、自由と財産権の保証を目的としておこり、法の前での平等という自由権的人権の実現を勝ち得たことは偉大な転換点でもあった。

しかし、貧困により教育を受けられない子供や、資本家と劣悪な労働環境の下で働く低所得者という構図を解決するには、国家からの自由だけでは不充分であった。このような背景のもと、国家権力の経済過程への介入が要請されるようになり、第1次大戦後のワイマール憲法(1919)は、従来の自由権に加え、新しい人権として、生存権、労働権、労働者の団結権などの社会権を保障したことが意義深い。

ロシア革命後の「勤労し搾取されている人民の権利」(1918)は、社会主義革命の人権宣言といわれ、人間による人間のあらゆる搾取の廃止、階級への社会の分裂の完全な廃絶、搾取者に対する容赦ない抑圧、社会主義的な社会組織の確立、およびあらゆる国における社会主義の勝利を基本任務とし、先のフランス革命後の様々な社会問題を一掃するかのごとくである。しかし、残念ながらこれには国家に先立つ人間の生まれながらの権利という人権の観念がないこと、権利の主体が労働者、農民に限られているため、「ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国憲法の総綱」の第14条 自分の意見を表現する現実の自由。第15条 集会の現実の自由を勤労者に保障。第16条 団結の現実の自由を勤労者に保障という文言全てが形骸化されている。これは秘密警察による様々な弾圧、拉致、監禁、拷問による自白の強要などがソ連邦崩壊まで公然と行われてきた事実からも明らかである。 

第二次大戦後は、戦時中の厳しい人権抑圧への反動と人権の国際的保障が強く要望され、法的拘束力は持たなかったものの「世界人権宣言」(1948年)では有史以来初めて、国境の隔たりをなくし全世界すべての人々の人権を守ることを公的に明らかにした。条約の性格を持つ「経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約)、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」などの国連採択は、まさに人権保障国際化の幕開けでもあった。

人権運動については、第一世代の人権運動と称される国家権力からの解放(from state)から、社会権的要求(to state)いわゆる第二世代の人権運動に要求の重点がシフトした。さらに第三世代の人権運動は、人種による差別問題、発展の権利、平和的生存権を主張した。これらを一見すると人権運動の発展と見る向きもあるが、奪われた者、抑圧されてきた「人」からの要求であると言う点において本質的には同質のものである。

冷戦後に登場したヒューマンセキュリティ(人間の安全保障)という新しい概念は、ジェンダーや子供、先住民族といったマイノリティーなど様々な人権をよりグローバルな見地で個人の安全を保障するというものであるが、提唱した国連事態はアメリカ一極支配による覇権主義と国権主義、ヨーロッパの社会福祉国家にみられる国際民主主義の対立により、本来の1国1票主義に基づく国家間機能による協力・解決といった本来の目的が有名無実化されている。

コソボ紛争、イラク危機に見られたように軍事力介入を行使してまでアメリカの国益を優先する考え方は、正に人権を国権の道具にしているといえる。あらゆる種類の大量破壊兵器を保有し、ヨルダン川西岸からの撤退など全ての国連決議に無視しているイスラエルに対しては、アメリカは何の制裁も行わず、逆に年間何十億ドルの援助を行っている。このことからも分るとおり非合理な運営と本来の目的から著しく遺脱している現在の国連に対して、ヒューマンセキュリティの成果に過大な期待を寄せることは困難であり、ポスト冷戦の課題はアメリカの一極支配をなくすといった主張があるのも当然である。

一方、このような欧米偏重の人権論に対して、1993年ごろの中国に端を発した「アジア的人権論」が、マレーシア、シンガポール、インドネシアの指導者の間で盛んに議論されているおり、その内容はこれまで人権運動の歩みを否定するかの如くである。「アジア人は個人の政治的及び市民的権利を認めていないし要求もしていない」「アジアにおいては社会の利益は個人の利益に優先する」というのだ。しかし、社会主義国の一党支配やミャンマーの軍事独裁政権による人権侵害は、すべての人間の固有の尊厳と平等かつ不可譲の権利を認めていないという点において、ヨーロッパの絶対王政の時代となんら変わらず、人類の人権運動における発展を逆行するものである。

「アジア的人権論」が肯定されるのであれば、魏京生さんのように暴力を使わないにもかかわらず思想・信条ゆえに囚われた「良心の囚人」に対しても、これは人権侵害ではなく正当な行為として認めることになる。韓国の民主化運動の象徴ともいわれる光州民衆闘争の正当な歴史的評価とその勝利に反して、中国では今だ天安門事件が形を変え不合理な拘留・弾圧が継続しており残念なことである。人権問題を内政干渉とする主張する背景には自らの権力維持のための抵抗と見るべきであろう。

このように現代の東アジアにおいては歴史を遡ると国家暴力が繰り返し行われ、国家テロリズムが東アジアの平和・人権問題の核心であるということは明らかである。2つのイデオロギーによる冷戦構造の終焉はこの地域には当てはまらず、朝鮮半島と台湾海峡に冷戦・分断体制は今だ存在する。

朝鮮半島おける課題は、分断された民族の統一と和解である。歴史的な両首脳の署名による「6.15南北共同声明」が、「自主・平和・民族大団結による統一」を謳った1972年の最初の南北共同声明、1991年の「南北基本合意書」と同様に白紙化ならないことを祈るばかりである。

一方、香港返還後の中国の最大の目標は、台湾の併合であり一国二制度の適用である。一体誰のための統一なのか胸を痛めるばかりだが、問題は12億の人口を有する巨大市場でもある大国に対して、人権問題で批判的である欧米諸国が小国を除いて台湾に大使館さえおいていない事実である。日本政府も直接選挙で政権が交代され民主主義が達成されても「国」とは認めない見解である。逆に人権を蹂躙している一党独裁の中国共産主義を「国」と認め好意的である。情けないことに自らの国益の前には、日・米・欧の覇権主義による人権運動は絵に描いた餅に現在のところ等しいのである。チベットでの人権問題はどうなったのだろうか。

さらに日本政府においては、朝鮮半島や台湾出身の旧帝国軍人に対してなんら恩給も与えられることもなく、従軍慰安婦問題については、1965年の「日韓基本条約」と「請求権、経済協力協定」で決着済みという態度をとっている。しかし、韓国と国家間の協定を結んだ当時、従軍慰安婦の問題においては議論の対象ではなく、しかも協定による賠償の対象とされていなかった事実にもかかわらず、このような無責任な対応を日本政府は取りつづけており、国際的にも許されることではない。

以上、人権が政治の言葉と化している現代、「欧米的人権論」「アジア的人権論」に修正が加えられた新たな人権論の展開を望んでいる。私はチューヒゲン大学のハンス・キュング教授が唱える『世界の諸宗教はその教義、伝統は異なっても、「殺すな」、「盗むな」といった共通の倫理があり、「愛」や「慈悲」「施し」など基本的な道徳律がある。宗教の知恵の結晶から共通の倫理が構成できないか』という普遍的な倫理の探求を組み入れた新たな人権論の構築を期待している。


《注釈》私は人権について少し勉強する前、法の支配と法治主義についての違いが分らなかった。両者は全く意味が異なる為、私の知り得た範囲で説明することにする。(…とてもカイロプラクティックのホームページとは思えない内容だが、“エッセー”は、なんでもありという個人的な解釈で、ここでは自由奔放に書いている)

法治主義という言葉は学者によって若干用法を異にしているが、基本的には、統治が議会の制定した法律によって行わなければならないとする原理である。これに対して、法の支配は、統治される者だけでなく統治する者も「法」に従うべきものであるということを意味する。

法治主義における法とは、制定された「法律」のことであり、その法に基づく憲法を指す。 「法律」は立法府で制定されるため、制約されるのは行政府のみであり、ここでの法とは必ずしも人権を守るものとは言えないことがわかる。 法治主義には次の3つのタイプがある。 @議会制定法に限定しない法治主義(形式的法治主義)とは、国王が作った法律であっても、一応形式的に法律に基づく限り法治主義であるとする見解。 A議会制定法によって国家権力を拘束するとする法治主義とは、前述した意味での法治主義にあたる。 B実質的法治主義とは、議会制定法に基づくことを要求するだけでなく、その内容の正しさをも要求する、法の支配の実質を伴う法治主義である。

法治主義においての「法」とは、国民代表議会の制定する法律を意味するものと考えられている。議会は国民の意思を反映しているという前提が、国民代表議会に対する信頼を正当化しており、このことから法律の内容の正しさは問題になることはない。しかし、少数者の人権保障という点では、問題があることは否定できない。

ドイツの行政法学の創始者といわれるオットー・マイヤーによれば、法治国家は、次のような二つの内容をもつと考えられている。一つは、行政における「法律の支配」ということである。法律の支配とは、議会の議決した法律が、他の国家機関を拘束するということを意味し、法律だけが法規制創造力を認められ、行政権による命令はいかなる場合にも法律に抵触することができないという法律の優位の原則をいう。他の一つは、「法律の留保」である。法律の留保とは、国家権力による国民の権利義務に対する侵害は行政権によっては許されず、立法権の行為である法律に留保されるべきだという原則をいう。法律の留保には2義性がある。行政は立法府の制定した法律に基づかなければならないので、法律により立法府は制約されている。行政制約原理である。また法律は制定の仕方次第で人権を抑制することもできるという意味では人権制約原理である。  

法の支配とは、専断的な「人の支配」を排斥し、国家権力が正しい法に拘束されるとする原理をいう 「人の支配」の反対概念であり、法の支配における法とは「正しい法」を意味する。  

ここでの法とは自然法のことであり、立法府、行政府などすべてを制約する。その法によって、自由主義の獲得、つまり個人の人権の獲得と国家権力の抑制を可能にすることをいう。自然法とは、この世にはまず最初に神の法が存在し、それにより万物は制約され、本来的には基本的人権などは守られるように自然の摂理はできていると考え、その神の法を指す。この考えは自然法論と呼ばれる。それに対して、神の法という想定をせずに法律としての成分を重視する考えは法実証主義という。自然法思想は、18世紀以降の近代的な思想であり、まず、神の法というのが存在し、それは自然法とはよばれ、@国家以前の法A絶対普遍の普遍妥当な存在B個人の自由・平等を回復するものであるという。 法の支配はしばしば、英米法の基本原理の一つであるとされる。

17世紀初頭にイギリス国王と議会の間との間に抗争が生じた時期に、王権神授説を振りかざすジェームス1世がコモン・ロー裁判所と教会裁判所の間の裁判権争いで、E.クックが13世紀に公刊されたH.deブラクトンの有名な著作から、「国王は何人の下にもない。しかし、神と法の下にある」という一節で対抗した。A.V.ダイシーによれば「法の支配」は次の三つの意味をもつとされている。@専断的権力の支配ではなく,正規の法(コモン・ロー)の絶対的支配であり、人の支配ではない。A地位や身分を問わず、あらゆる人が国の通常の法に服し、且つ通常裁判所の裁判権に服する。行政法、または公法という、統治のための特別の法律があるのではなく、国王も国民もみなただ一つの法の下に服するという考え方。B憲法の一般的法原則(人身の自由や集会の権利等)は,裁判所の判決の中で私人の権利について判断がなされた結果として生まれたものである。  

しかし、イギリス以外の英米法系諸国では、ダイシーの定義に合致しない現象がある。アメリカおいては、主として行政権の乱用の抑制が問題があったイギリスとは異なり、立法権の乱用も行政権の乱用と同様に警戒すべきであるとする背景から違憲立法審査制度が採用されている。またイギリスのコモン・ローは、判例によってみとめられてきたものであって、成文のものではなかった。それを成文化し、最高法規としての合衆国憲法が制定された。

法の支配の内容は次の4つとされる。 @法律に対する法(憲法の最高法規性の概念)。憲法に反するいかなる国家行為をも無効とすることによりはじめて法の支配が貫徹される。 A基本的人権の保障←権力によっても侵されない個人の権利 B司法権の優越←裁判所の違憲立法審査権。国家行為が「正しい法」に適合するかどうかを判断する機関は、国家行為を行う機関とは別個独立の存在たる司法裁判所でなければならない。そして、民事、刑事、行政を含むいかなる訴訟をも司法裁判所の権限とする必要がある。 C適正手続きの保証(法の内容、手続きの適正)。いかに実体法を適正に定めてもその手続が適正でなければ人権保障は画に書いた餅となってしまい、法の支配の目的である人権保障は達成されない。したがって、適正手続の観念は法の支配を実現する上で重要な意義を有することになる。

NextBackChiropractic Forum Index | Top