私の忙中有閑(所長の独り言)

人権概念の生成過程と東アジアを中心とした現代の人権問題について考える

人権の概念は中世ヨーロッパに芽生え、17世紀には「権利請願」(1628)「権利章典」(1689)が成文法として登場するが、これらは天賦の人権を宣言するものではなかった。近代に至り自然法論が登場した当初は、個人の理性・欲望など世俗的な個人主義に基づいた。この為、自然法に基づく権利の履行のためには、野球で例えるとルールとアンパイヤとコミッショナーが必要なように、「制定法・成文法」「公知公正な裁判官」「執行権力」の3つの要素が存在する必要があった。これは個人個人が自己の考えを無秩序に行使すると、万人の万人と万物に対する闘争を生み出すからである。

トーマス・ホッブスの『Leviathan』では、人間の悪徳を強調しそれを抑止する為に、国民は各人の有する自然権を放棄し、社会契約を結んで国家をつくり、各人は国家の統治者であり絶対的主権を持った国王に自然権を委譲(譲渡)して、国王の統制力に服従する必要があると説いた。ホッブスの「絶対主義的な社会契約説」は、絶対王政を擁護する結果となったが、権力の由来を人民の意思・契約に求めたところに意義があり、後に「コモンウェルス」としての近代国家の原理を構築するまでに至った。

しかし、このような絶対国家による社会契約説を民主主義的な政治理論に変えたジョン・ロックは、法による支配・主権在民・権力の分立・多数決の原理を明らかにし、政府が信託した人民の権利を奪うときには、人民に抵抗権が認められるべきだと主張し、立法権・執行権・外交権(連合権)を柱とする三権分立論を展開した。このロックの思想はアメリカ独立革命や各国の市民革命に大きな影響を与えた。モンテスキューはロックの理論を継承し発展させ、『法の精神』を発表し、三権分立は立法権・行政権・司法権の抑制と均衡を図るものであると考えた。またルソーの社会契約の考え方は、一般意志による徹底した人民主権、直接民主制を主張した。この近代民主政治・国民(人民)主権主義の理論は、後のフランス革命に多大な影響を与えた。 

このような社会契約説を背景にしているのが世界最初の人権宣言といわれるヴァジニアの権利章典(1776年)である。これには、万人が生まれながらにして等しく自由をかつ独立しており、一定の生得の権利を有するとされ、そのような権利として財産の所有と共に、幸福追究の手段を伴う生命、自由の享受、抵抗権、革命権が挙げられ、独立宣言より具体的に列記している。また最初に自由権を明確に規定したことに意義があるといえる。アメリカ独立宣言(1776)は、基本的人権の尊重、国民主権、国民の抵抗権・革命権の承認が規定されている。人および市民の権利宣言(1789)は、当時イギリス・フランスが世界の中心であった為、世界に与えた「衝撃」と「普及力」からその影響力はヴァジニアの権利章典の比ではない。わずか17条であるが、国民主権、人権の不可侵、所有権の保障、権力分立などが規定されており、身分制という社会構成原理を否定し、近代憲法の核心を形成する人権保障の基礎を確立したところに大きな意義がある。

これらの市民革命を経て成立した人権宣言は、国家権力といえども奪うことができない人権の絶対不可侵性が挙げられるが、その影には自由放任体制の下、雇用年齢・最低賃金・長時間労働が定められていない原生的労働関係の存在、性差別、植民地と民族・人権差別などがあったことを見逃してはならない。

フランスにおいては女性が普通選挙を認められたのは、フランス革命後およそ1世紀を経てからであり、自由放任主義は資本家階級と労働者階級という新たな矛盾が生じ深刻な社会問題を招くに至り、パリ市民の平均寿命が1860年で28歳、1840年で20歳と生産力は上昇しているが寿命は低下するという戦争以外では極めて異例な現象を引き起こした。 市民革命は市民の自由に対する国家介入と抑圧の排除、自由と財産権の保証を目的としておこり、法の前での平等という自由権的人権の実現を勝ち得たことは偉大な転換点でもあった。

しかし、貧困により教育を受けられない子供や、資本家と劣悪な労働環境の下で働く低所得者という構図を解決するには、国家からの自由だけでは不充分であった。このような背景のもと、国家権力の経済過程への介入が要請されるようになり、第1次大戦後のワイマール憲法(1919)は、従来の自由権に加え、新しい人権として、生存権、労働権、労働者の団結権などの社会権を保障したことが意義深い。

ロシア革命後の「勤労し搾取されている人民の権利」(1918)は、社会主義革命の人権宣言といわれ、人間による人間のあらゆる搾取の廃止、階級への社会の分裂の完全な廃絶、搾取者に対する容赦ない抑圧、社会主義的な社会組織の確立、およびあらゆる国における社会主義の勝利を基本任務とし、先のフランス革命後の様々な社会問題を一掃するかのごとくである。しかし、残念ながらこれには国家に先立つ人間の生まれながらの権利という人権の観念がないこと、権利の主体が労働者、農民に限られているため、「ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国憲法の総綱」の第14条 自分の意見を表現する現実の自由。第15条 集会の現実の自由を勤労者に保障。第16条 団結の現実の自由を勤労者に保障という文言全てが形骸化されている。これは秘密警察による様々な弾圧、拉致、監禁、拷問による自白の強要などがソ連邦崩壊まで公然と行われてきた事実からも明らかである。 

第二次大戦後は、戦時中の厳しい人権抑圧への反動と人権の国際的保障が強く要望され、法的拘束力は持たなかったものの「世界人権宣言」(1948年)では有史以来初めて、国境の隔たりをなくし全世界すべての人々の人権を守ることを公的に明らかにした。条約の性格を持つ「経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約)、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」などの国連採択は、まさに人権保障国際化の幕開けでもあった。

人権運動については、第一世代の人権運動と称される国家権力からの解放(from state)から、社会権的要求(to state)いわゆる第二世代の人権運動に要求の重点がシフトした。さらに第三世代の人権運動は、人種による差別問題、発展の権利、平和的生存権を主張した。これらを一見すると人権運動の発展と見る向きもあるが、奪われた者、抑圧されてきた「人」からの要求であると言う点において本質的には同質のものである。

冷戦後に登場したヒューマンセキュリティ(人間の安全保障)という新しい概念は、ジェンダーや子供、先住民族といったマイノリティーなど様々な人権をよりグローバルな見地で個人の安全を保障するというものであるが、提唱した国連事態はアメリカ一極支配による覇権主義と国権主義、ヨーロッパの社会福祉国家にみられる国際民主主義の対立により、本来の1国1票主義に基づく国家間機能による協力・解決といった本来の目的が有名無実化されている。

コソボ紛争、イラク危機に見られたように軍事力介入を行使してまでアメリカの国益を優先する考え方は、正に人権を国権の道具にしているといえる。あらゆる種類の大量破壊兵器を保有し、ヨルダン川西岸からの撤退など全ての国連決議に無視しているイスラエルに対しては、アメリカは何の制裁も行わず、逆に年間何十億ドルの援助を行っている。このことからも分るとおり非合理な運営と本来の目的から著しく遺脱している現在の国連に対して、ヒューマンセキュリティの成果に過大な期待を寄せることは困難であり、ポスト冷戦の課題はアメリカの一極支配をなくすといった主張があるのも当然である。

一方、このような欧米偏重の人権論に対して、1993年ごろの中国に端を発した「アジア的人権論」が、マレーシア、シンガポール、インドネシアの指導者の間で盛んに議論されているおり、その内容はこれまで人権運動の歩みを否定するかの如くである。「アジア人は個人の政治的及び市民的権利を認めていないし要求もしていない」「アジアにおいては社会の利益は個人の利益に優先する」というのだ。しかし、社会主義国の一党支配やミャンマーの軍事独裁政権による人権侵害は、すべての人間の固有の尊厳と平等かつ不可譲の権利を認めていないという点において、ヨーロッパの絶対王政の時代となんら変わらず、人類の人権運動における発展を逆行するものである。

「アジア的人権論」が肯定されるのであれば、魏京生さんのように暴力を使わないにもかかわらず思想・信条ゆえに囚われた「良心の囚人」に対しても、これは人権侵害ではなく正当な行為として認めることになる。韓国の民主化運動の象徴ともいわれる光州民衆闘争の正当な歴史的評価とその勝利に反して、中国では今だ天安門事件が形を変え不合理な拘留・弾圧が継続しており残念なことである。人権問題を内政干渉とする主張する背景には自らの権力維持のための抵抗と見るべきであろう。

このように現代の東アジアにおいては歴史を遡ると国家暴力が繰り返し行われ、国家テロリズムが東アジアの平和・人権問題の核心であるということは明らかである。2つのイデオロギーによる冷戦構造の終焉はこの地域には当てはまらず、朝鮮半島と台湾海峡に冷戦・分断体制は今だ存在する。

朝鮮半島おける課題は、分断された民族の統一と和解である。歴史的な両首脳の署名による「6.15南北共同声明」が、「自主・平和・民族大団結による統一」を謳った1972年の最初の南北共同声明、1991年の「南北基本合意書」と同様に白紙化ならないことを祈るばかりである。

一方、香港返還後の中国の最大の目標は、台湾の併合であり一国二制度の適用である。一体誰のための統一なのか胸を痛めるばかりだが、問題は12億の人口を有する巨大市場でもある大国に対して、人権問題で批判的である欧米諸国が小国を除いて台湾に大使館さえおいていない事実である。日本政府も直接選挙で政権が交代され民主主義が達成されても「国」とは認めない見解である。逆に人権を蹂躙している一党独裁の中国共産主義を「国」と認め好意的である。情けないことに自らの国益の前には、日・米・欧の覇権主義による人権運動は絵に描いた餅に現在のところ等しいのである。チベットでの人権問題はどうなったのだろうか。

さらに日本政府においては、朝鮮半島や台湾出身の旧帝国軍人に対してなんら恩給も与えられることもなく、従軍慰安婦問題については、1965年の「日韓基本条約」と「請求権、経済協力協定」で決着済みという態度をとっている。しかし、韓国と国家間の協定を結んだ当時、従軍慰安婦の問題においては議論の対象ではなく、しかも協定による賠償の対象とされていなかった事実にもかかわらず、このような無責任な対応を日本政府は取りつづけており、国際的にも許されることではない。

以上、人権が政治の言葉と化している現代、「欧米的人権論」「アジア的人権論」に修正が加えられた新たな人権論の展開を望んでいる。私はチューヒゲン大学のハンス・キュング教授が唱える『世界の諸宗教はその教義、伝統は異なっても、「殺すな」、「盗むな」といった共通の倫理があり、「愛」や「慈悲」「施し」など基本的な道徳律がある。宗教の知恵の結晶から共通の倫理が構成できないか』という普遍的な倫理の探求を組み入れた新たな人権論の構築を期待している。


《注釈》私は人権について少し勉強する前、法の支配と法治主義についての違いが分らなかった。両者は全く意味が異なる為、私の知り得た範囲で説明することにする。(…とてもカイロプラクティックのホームページとは思えない内容だが、“エッセー”は、なんでもありという個人的な解釈で、ここでは自由奔放に書いている)

法治主義という言葉は学者によって若干用法を異にしているが、基本的には、統治が議会の制定した法律によって行わなければならないとする原理である。これに対して、法の支配は、統治される者だけでなく統治する者も「法」に従うべきものであるということを意味する。

法治主義における法とは、制定された「法律」のことであり、その法に基づく憲法を指す。 「法律」は立法府で制定されるため、制約されるのは行政府のみであり、ここでの法とは必ずしも人権を守るものとは言えないことがわかる。 法治主義には次の3つのタイプがある。 @議会制定法に限定しない法治主義(形式的法治主義)とは、国王が作った法律であっても、一応形式的に法律に基づく限り法治主義であるとする見解。 A議会制定法によって国家権力を拘束するとする法治主義とは、前述した意味での法治主義にあたる。 B実質的法治主義とは、議会制定法に基づくことを要求するだけでなく、その内容の正しさをも要求する、法の支配の実質を伴う法治主義である。

法治主義においての「法」とは、国民代表議会の制定する法律を意味するものと考えられている。議会は国民の意思を反映しているという前提が、国民代表議会に対する信頼を正当化しており、このことから法律の内容の正しさは問題になることはない。しかし、少数者の人権保障という点では、問題があることは否定できない。

ドイツの行政法学の創始者といわれるオットー・マイヤーによれば、法治国家は、次のような二つの内容をもつと考えられている。一つは、行政における「法律の支配」ということである。法律の支配とは、議会の議決した法律が、他の国家機関を拘束するということを意味し、法律だけが法規制創造力を認められ、行政権による命令はいかなる場合にも法律に抵触することができないという法律の優位の原則をいう。他の一つは、「法律の留保」である。法律の留保とは、国家権力による国民の権利義務に対する侵害は行政権によっては許されず、立法権の行為である法律に留保されるべきだという原則をいう。法律の留保には2義性がある。行政は立法府の制定した法律に基づかなければならないので、法律により立法府は制約されている。行政制約原理である。また法律は制定の仕方次第で人権を抑制することもできるという意味では人権制約原理である。  

法の支配とは、専断的な「人の支配」を排斥し、国家権力が正しい法に拘束されるとする原理をいう 「人の支配」の反対概念であり、法の支配における法とは「正しい法」を意味する。  

ここでの法とは自然法のことであり、立法府、行政府などすべてを制約する。その法によって、自由主義の獲得、つまり個人の人権の獲得と国家権力の抑制を可能にすることをいう。自然法とは、この世にはまず最初に神の法が存在し、それにより万物は制約され、本来的には基本的人権などは守られるように自然の摂理はできていると考え、その神の法を指す。この考えは自然法論と呼ばれる。それに対して、神の法という想定をせずに法律としての成分を重視する考えは法実証主義という。自然法思想は、18世紀以降の近代的な思想であり、まず、神の法というのが存在し、それは自然法とはよばれ、@国家以前の法A絶対普遍の普遍妥当な存在B個人の自由・平等を回復するものであるという。 法の支配はしばしば、英米法の基本原理の一つであるとされる。

17世紀初頭にイギリス国王と議会の間との間に抗争が生じた時期に、王権神授説を振りかざすジェームス1世がコモン・ロー裁判所と教会裁判所の間の裁判権争いで、E.クックが13世紀に公刊されたH.deブラクトンの有名な著作から、「国王は何人の下にもない。しかし、神と法の下にある」という一節で対抗した。A.V.ダイシーによれば「法の支配」は次の三つの意味をもつとされている。@専断的権力の支配ではなく,正規の法(コモン・ロー)の絶対的支配であり、人の支配ではない。A地位や身分を問わず、あらゆる人が国の通常の法に服し、且つ通常裁判所の裁判権に服する。行政法、または公法という、統治のための特別の法律があるのではなく、国王も国民もみなただ一つの法の下に服するという考え方。B憲法の一般的法原則(人身の自由や集会の権利等)は,裁判所の判決の中で私人の権利について判断がなされた結果として生まれたものである。  

しかし、イギリス以外の英米法系諸国では、ダイシーの定義に合致しない現象がある。アメリカおいては、主として行政権の乱用の抑制が問題があったイギリスとは異なり、立法権の乱用も行政権の乱用と同様に警戒すべきであるとする背景から違憲立法審査制度が採用されている。またイギリスのコモン・ローは、判例によってみとめられてきたものであって、成文のものではなかった。それを成文化し、最高法規としての合衆国憲法が制定された。

法の支配の内容は次の4つとされる。 @法律に対する法(憲法の最高法規性の概念)。憲法に反するいかなる国家行為をも無効とすることによりはじめて法の支配が貫徹される。 A基本的人権の保障←権力によっても侵されない個人の権利 B司法権の優越←裁判所の違憲立法審査権。国家行為が「正しい法」に適合するかどうかを判断する機関は、国家行為を行う機関とは別個独立の存在たる司法裁判所でなければならない。そして、民事、刑事、行政を含むいかなる訴訟をも司法裁判所の権限とする必要がある。 C適正手続きの保証(法の内容、手続きの適正)。いかに実体法を適正に定めてもその手続が適正でなければ人権保障は画に書いた餅となってしまい、法の支配の目的である人権保障は達成されない。したがって、適正手続の観念は法の支配を実現する上で重要な意義を有することになる。


私の忙中有閑(所長の独り言)

BIS(自己資本比率)規制の目的と手段について想う

金融取引の世界的拡大、取引手法の高度化によりどこの国の銀行が破綻しても世界の金融秩序に与える影響が大きくなってきたため、国際的活動をする銀行には自己資本比率に関して国際統一基準を満たすようにすることで、個々の銀行の安定性、健全性を確保し、ひいては国際的な銀行システムの安定性の向上、国際的に活動する銀行の競争条件の確保を目的としている。

従来我が国において、競争制限的規制が主たる規制体系下での自己資本比率規制強化は、マクロ的には金融システムの安定性を維持するという目的のため、またミクロ的には個別金融機関の健全経営を促進するという目的を有し、米国においてのBIS規制が担っている役割とは大きく異なっていたにもかかわらず正当化されている。

このような目的の達成手段として自己資本比率規制を考える場合、第一にインセンティブ規制として機能すること、第二は、自己資本が銀行破綻時において預金者の債権を保全するための純資産を自己資本と定義づけることであった。

我が国は保守主義の立場から「含み益」の自己資本参入を英・米に認めさせた結果、狭義の自己資本では達成し得ない高い最低自己資本比率を保つことができた。これにより邦銀は、旧来の制度論理を継承するだけでなく、「護送船団方式」に養われた自主性・自己責任意識欠落からの回復をも鈍らせることとなった。

当時、地銀が反対した理由は、経営者の責任で維持・向上させるのが自己資本比率の本来の数字であったにもかかわらず、含み益を自己資本に算入することで景気の善し悪しで経営成績に反映されることを嫌ったからであった。不幸にもこの予想は的中し、自己資本比率規制が、銀行の貸出行動と株式市場の状況が連動することになった。

このため平成10年4月からの「早期是正措置」発動により、株価の大幅な上昇が期待できない現状において、邦銀は分母のリスクアセット総額減らしに力を注いだ結果、いわゆる貸し渋りを招くに至った。当然ながら土地担保融資をベースとする日本型間接金融システムも機能低下に陥っている。

結果的にこのような日本的含み経営が、インセンティブ規制として機能することなく、加えてBIS規制の目的の一つである「国際的な銀行システムの安定性の向上、国際的に活動する銀行の競争条件の確保」にも反して、グローバル・スタンダードからみての非効率化、リスクへの挑戦を困難なものとなっている。

また自己資本比率規制は、預金保険制度を初めとするセーフティ・ネット下でのモラルハザードの誘因を低減させるものと見る向きもあるが、残念ながら日本長期信用銀行は、日銀考査の際に虚偽の資料を提出、1998年3月期決算で粉飾決算をしたとして元頭取ら3人が証券取引法違反で逮捕・起訴されている。

このように自己資本比率規制の強化は、金融自由化に伴う規制再編の象徴と目されていたが全く機能しなかったのである。現状を顧ると、解決すべき課題もあるが会計基準としての時価主義採用や各種リスク情報を中心としたディスクロージャー拡充などのインフラの整備が極めて重要であると考える。


私の忙中有閑(所長の独り言)

現代社会が生み出した運動不足と不定愁訴
―ラジオ体操の勧めー

カイロプラクティックオフィスを開院して13年になる。患者さんの身体を触れる都度、その筋骨格の硬さに対し閉口していることから、現代人の運動不足をまさに肌で感じている。今回は、患者さんにお勧めることの多い「ラジオ体操」について私見を述べたい。

はじめに、筋骨格系の機能面を主に扱うバイオメカニクス(生体力学)という学問は、残念ながら日本の大学で講義されているところはまだまだ少ない。医学部でも講義されていないところがほとんどであろう。一般にお医者さんのイメージ像は、身体のことについてはなんでもご存知であると考えがちである。しかし実際は残念なことに、多くのお医者さんは関節の運動学についてはあまり詳しくはないのである。ゆえに患者さんもバイオメカニクスについての知識や関心がないことも当然のことであろう。

このような理由で、身体を触診あるいは動態触診した際、私が「硬い」と感じることは、何を指して硬いと表現しているのか、またそれはどのような理由によるものかをまず説明しなければいけない。

例えば、肩のあたり(上部僧房筋)を押さえて「硬い」と感じたことのある方は多いと思う。このような場合、通常肩が凝っている、つまり筋肉が緊張して硬くなっていると普通考えてしまう。勿論、筋肉そのものが緊張していることもあるが、動態触診を行うと、その肩のあたりのすこし深部にある第1〜第3肋骨辺りで、下方への正常な関節運動がみられないことのほうが実際は多い。理想的な関節の動きが少ない(下方に動かない)という感覚を、筋肉が硬いのだと、一般の方は考えてしまう。体表解剖学の知識に乏しいことや馴染みの薄い生体力学の理解がない以上当然である。

我々が日常生活で支障なく手を使ったり、身体を自由に動かせるのは、本来、関節には少し融通(正常な関節運動)がきくようにできているからである。正常な関節運動とはどのような動きを指すか、わかりづらいかもしれないが、次のようにしていただければイメージはつかみやすい。例えば、手の指の関節は、意識して指を動かそうとすると、曲げたり伸ばしたり2つの方向の動きしか出来ない。しかし、指先を片方の手で挟んでやさしく左右にまわしてみると、僅かに指先の関節が回旋するのが分る。また左右・上下にも僅かな動きを確認できるはずである。これを正常な関節運動、略して関節の遊び(joint play)と呼ぶ。

関節の遊びが正常であると、筋肉は自由に動くことが出来る。日常生活で支障なく体を動かせるのは、関節に少し融通がきくようにできているからなのである。一方、これとは反対に異常な関節の動きとして次のようなケースが挙げられる。ぐらぐらした大きすぎる動き(可動性亢進)や、かたい制限された動き(可動性減少)、遊びの消失(loss of joint play)などの関節の機能障害(joint dysfunction)とよばれる状態が存在すると、動作の際に痛みを感じたり、特定の部位にこわばった感じなど、身体になんらかの不調を覚える。

私が検査する際に用いる関節の動態触診は、脊椎、四肢の関節に、正常な可動範囲があるかどうかを調べる検査法で、多くの情報を施術者側に与えてくれる。もう少し詳しく動態触診を説明すると下図のとおりである。他動運動(自分の力で動かせない関節運動)を用いることで、自動関節運動(自分の力で動かせる関節運動)を超えた部分の関節運動を調べる検査法のことを動態触診という。 関節の可動性の減少(fixation)あれば、これは筋によるものか関節自体の制限によるかものかは、動きの質がそれぞれ異なるため容易に鑑別できるのである。勿論このような制限はどのような問題に起因するかの判断は他の検査結果と照らし合わせて判断することになる。

関節の可動範囲
関節の遊び
随意運動範囲
随意運動範囲
関節の遊び
 


中間位

 
2.
1.
2.
1.自分の意思でコントロールすることができる運動範囲(筋肉によって動く)
2.自分の意思でコントロールすることができない運動範囲
「脊椎モーションパルペーション」中川貴雄 著:出所

患者さんを動態触診することで、正常な関節運動が消失し、身体の硬い方が多くを占めている実態に、閉口することがしばしばである。どうして理想的な関節の動きからほど遠い方が多いのだろう。理由は幾つも考えられる。まず座位・立位における不良姿勢、次に食生活の変化による栄養素の不足を挙げることができる。例えばビタミンB1が不足すると細胞内でブドウ糖をエネルギーに変えることが出来なくなり乳酸が蓄積される。カルシウムが不足すると血中のカルシウム濃度が低下する為に、その分を補う為に骨中のカルシウムが溶け出してくる。その量が多いと組織中にカルシウムが増えすぎて筋肉は硬く緊張した状態になる。マグネシウムが体内に必要量あれば、このような状態は改善できるのだが、ほとんどの方は推奨される摂取量には足らないとの報告がある。

このように、身体の硬さと栄養素の不足、不良姿勢は大きく関係しているが、日常生活の中で身体を動かさないことも大きく影響していると考えられる。

昔は衣類を洗濯する際、脱水機がなかった為、両手で衣類を掴みおもいっきり身体を上下に動かして水を切っていた。風呂を沸かす為のまき割りも今から思えばよい運動になっていたのだろう。そういえば掃除の際の「ハタキ」も最近見かけなくなった。私が開院したての頃、大学で非常勤講師をされていた女性から次のようなお話をされたことを思い出した。「授乳を赤ちゃんにしていると、自分も哺乳類の一員なんだなとしみじみ実感しました。」人間は哺乳類の仲間であるが、知能が発達したことで他の動物とは根本的に違うのだと、無意識のうちに思い込んでいる人は多いのではないだろうか。

ここ数十年の間ですっかり生活の風景は一変した。暮らしが便利になったという理由だけで身体を動かす必要がなくなる訳はなかろう。人類の進化の過程を考えると、数十年の期間でヒトの身体の仕組みが環境に適応するとは思えない。加えて離乳期以降、大人になっても「乳」を飲んでいるのも人間だけで、おかしな生活習慣まで現在の暮らしに溶け込んでいる。

このように昔は特別に運動などをしなくても、生活の中で自然と身体を動かしていた為にそれでもよかった。しかし現在のように交通機関は発達し、便利な家電製品に囲まれ、ディスクワークが中心の労働となると、なんらかの支障が身体に現れても不思議ではない。余談だが、働くという漢字は、「人」が「動」くと書くが、現在の労働を考えると、その漢字の意味も相応しくないように思えるぐらい動かない。「にんべん」に「静」と改めてはどうだろう。

さて日々の臨床では、外傷や不良肢位に起因する疼痛などで来院される方が多いが、そのような症例数と同じほど、身体の各部位に関節運動の少ない方が来院される。後者のケースの自覚症状は、身体各部のなんらかの違和感・不調が主訴である。明らかに運動不足により関節運動が減少している方には、私はてっとりばやい解消策として「ラジオ体操」をお勧めすることが多い。

小学生の頃、夏休みだというのに朝早く起きて家の近くの公園へ行き、ハンコを押してもらうのが私の1日の始まりだった。夏休みも終わりになる頃、「出」という印が小さな紙にいっぱい押されているのが子供心に嬉しかった。当時、ラジオ体操に行くのは義務のようなものであり、毎日からだを精一杯動かして遊んでいたものだから、いささか退屈な体操といった印象であった。しかし、大人になり人様を治療する立場になって初めてラジオ体操の素晴らしさ、その効用を、日々の臨床を通じて知ることとなった。毎日ラジオ体操をされている方は不思議に身体の柔軟性がよろしいのである。ラジオ体操はどこでもいつでも出来、本人のやる気さえあれば、継続することにより十分な成果を得られることがお勧めする理由である。その効能を次に挙げてみよう。

まず人体のすべての筋肉と関節を動かすように構成されていることから柔軟性が高まる。次に、血液循環が盛んになることで、新陳代謝が活発になり疲労回復にも役立つ。このような素晴らしきかなラジオ体操を考案された方に感謝であるが、いったい何時どのようにしてラジオ体操は始まったのか、疑問を覚えたことはないだろうか。「ラジオ体操の誕生」黒田勇著を参考にその概略を簡単にまとめてみたい。

戦前のラジオ体操はアメリカの「メトロポリタン生命保健会社」のラジオ体操をお手本にしたもので、日本と同じように早朝に行われていた事実には驚く。この体操を滞在中に知った逓信省簡易保健局の猪熊貞治課長は、帰国後の大正一四年七月はじめて日本にこの体操を紹介した。昭和三年九月、簡易保険局を中心に日本放送協会、文部省等の協力の下に旧ラジオ体操第1を制定、同年十二月にラジオ体操のレコード完成。昭和四年二月にはラジオ体操全国放送が始まった。昭和二十一年四月には、旧ラジオ体操を中止し、新ラジオ体操(第1〜3)を制定し放送開始。昭和二十二年八月、新ラジオ体操は難しいということであまり普及せず放送を中止。昭和二十六年五月にようやく現在のラジオ体操第1が制定され放送開始。昭和三十一年三月、現在の「ラジオ体操の歌」発表。昭和三十七年三月、全国ラジオ体操連盟創設。同年十月、1000万人ラジオ体操祭開始。平成十一年九月、「みんなの体操」を制定、現在に至っている。

日本で初めてラジオ体操放送を提唱した猪熊貞治氏は、日本人の体格向上のため、「老若男女を問わず」、「誰にでも平易にできる」、「如何なる場所でもできる」ということが主な理由であった。しかし、激動の昭和史の中でラジオという新しいメディアによるこの体操は、戦前・戦中・戦後と本来の目的と異なるところで国の政策によって利用されてきたふしもある。黒田氏は、「ラジオ体操によって達成すべき健康が個々人の価値から国家的価値へと変換された」と表現している。

戦前のラジオ体操がファシズム的(戦後GHQにより嫌疑をかけられたことによる)だと形容されたにもかかわらず、戦後もまた新しいラジオ体操が考案され脈々と現在も続いているのは、体操の身体にもたらす効能が、毎日欠かさず実践している当人に自覚できるからにほかならないと考える。

ラジオ体操を非難するおそらく少数派であろう意見は次のようなものである。ラジオ体操は昭和三年、昭和天皇の御大礼を記念にしてつくられたから天皇制を象徴するものであるとする短絡的な見方。日本全国民をラジオという新しいメディアによって総動員できるから戦時下ファシズムの象徴であるとする見方、なかには早朝からラジオ体操のボリュームがうるさいなどと身勝手な意見もあるようだ。

確かに戦前・戦中のラジオ体操の目的は、健全な精神・欧米人に劣らぬ肉体を求める為の手段(国策)として薦められた経緯はあったものの、戦後は一転して西側陣営の一端を担うようになったことから、民主主義の精神を養うための手段としての位置づけへと大きく変容を遂げる。ラジオ体操がその時の政策でどのように利用されたとしても、ラジオ体操によって得られる効用は変わらないはずであり、現代社会における存在理由もまさにここにあると考える。

毎日ラジオ体操を行っている患者さんと、体操をしていないと方を比較すると、明らかに前者のほうが胸郭部や椎骨の可動性は勝っている。これは私の怠慢だが、これらを二つの対照群にわけて統計学的に有意差を見出したものではないことをお断りしなければならない。あくまで私の動態触診の検査結果による大雑把な報告である。言い訳がましいが、リハビリテーションなどで測定する関節可動域の検査とは異なり、椎骨可動性は非常に小さく、体格や年齢、性別などでも異なる。このような理由で、ほんの僅かな動きであるJoint Playをout putして計測することは困難であるが、施術する側の指先には明らかな違いとして検出される。その小さな可動性にでも異常が現れた場合、疼痛の発生やなんらかの違和感を訴えるようになるから厄介である。にもかかわらず、骨組織や周囲軟部組織等の病理学的変化でもなければレントゲン検査をしても異常としてとらえられることはないのだ。

さてラジオ体操以外で、理想的な関節運動が回復できる運動にはどのようなものがあるだろう。私が思い浮かぶのは水泳(クロール、背泳)だ。しかし残念ながらスポーツクラブに通うことができる層は限られている。まず時間・経済的に余裕がなければならないことが、運動をしたい人達の大きな壁になっている。 スポーツという言葉の語源は、ラテン語のデポラターレで、「レジャー」や「余暇」を意味することから、本来は「ゆとり」を前提として行うものであるようだ。小学校の教頭先生をされている女性の患者さんは、「先生、仕事に疲れて帰宅すると今度は夕飯の仕度などの家事が待っている。とてもとても運動なんて出来ませんわ。」どうやらジェンダーの視点からすると、「ゆとり」なんぞは休日でもないと望めそうにないのが実態である。

欧州には深夜まで利用できる非営利のスポーツクラブが多く存在するので、スポーツをする際の「前提条件」がなくても利用できるところが羨ましい。それは日本で見かける営利目的のスポーツクラブとは随分と事情が異なる。欧州のスポーツクラブの役割を知ると、その差はいったい何時どのようにして生じたものか興味が湧いてくるかもしれない。次に簡単に説明しておこう。

欧州のスポーツクラブは、一部の専従スタッフを除いてはほぼ全員がボランティアでクラブ運営にあたっており、地域住民の生きがいの場となっている。子供達にとっては社会教育の場となっており、体育の授業は理論中心で、その実践はスポーツクラブで行うというから驚きである。女子マラソンのクリスチャンセンは幼少のころから通っていたスポーツクラブで後進の指導にあたっているが、そのような姿は地域住民の誇りともなっている。また予算の10%もスポーツ振興にあてるところもあり、クラブが地域の活性化につながった事例もある。日本の貧弱なスポーツ予算、「箱モノ」「イベント」オンリーのスポーツ行政の実態を知ると呆れるばかりであり、公共施設を有効に利用している欧州のクラブから学ぶべきところは多いと思う。

現在、わが国では全国1万箇所の総合型スポーツクラブの設置を、財源をサッカーくじの利益に頼りして目指しているようである。しかし、その売上金から当選金(50%)と経費(15%)を除いた収益(35%)のうち、国庫納付金と自治体への割当金として3分の1ずつを差し引かれ、肝心のスポーツ団体へは、11.7%しかまわされないということである。国家の新たな財源確保と同時に、またもやお金の行方は不透明なものとなるのではないかと疑問が残る。

「箱モノ建設」は日本の行政のお茶芸であることから、欧州のような地域に根をおろした総合型スポーツクラブの設置を早急に期待するのは困難であろう。スポーツをしている時のように、それ自体を楽しむとまではいかないが、費用もかからず何時でも何処でも出来るラジオ体操が、身体の柔軟性・新陳代謝を高めるという点において、やはり最も継続しやすい運動ではないだろうか。あとは毎日の姿勢と食生活を見直すだけで、柔軟な身体を取り戻せることが出来ると、私の臨床経験から確信している。唯一残念に思うことは、一人で行うラジオ体操は、「地域住民とのコミュニケーション不足」=「希薄となった人間関係」の解消策に成り得ないところである。

参考文献:

「ラジオ体操の誕生」黒田勇
「スポーツとは何か」玉木正之
「脊柱モーションパルペーション」中川貴雄
ラジオ体操・みんなの体操http://www.kampo.mpt.go.jp/event/radio/index.html


私の忙中有閑(所長の独り言)

医療におけるグローバリゼーション

医療におけるグローバリゼーションを考えると、まず頭に浮かぶのが、ノーベル平和賞を受賞した国境なき医師団であろう。適切な医療を受けられることは、人種、宗教、イデオロギーにかかわらず、全ての病人の権利となるべきである。発展途上国においては、紛争による飢餓や貧困などの背景が存在し、また巨大化したNGOとしての新たな問題も抱えるものの、病める多くの人々に一人でも救いの手が伸びることを期待している。

次に、情報入手源のグローバル化、入手情報の適切な評価の必要性を背景に、他国の医療情報との互換性、医療情報の扱い方について共通の基準を設ける必要がでてきた。いわゆる医療の標準化である。国内における標準の作成もグローバル化を睨みながらの作業となる。医薬品の開発・使用もグローバルな EBM(根拠に基づいた医療)の動きの中で進められるようになった現在、日本もこの大きな世界的流れの中への積極的参加が強く望まれる。

このような医療においてのグローバルバリゼーションが進むと、これまで批評や批判にさらされなかった医療に、「透明性」と「説明責任」を求める声は益々大きくなるであろう。 なかでも近年、脚光を浴びているのがEBM(根拠に基づいた医療)である。医療行為には根拠があると一般の方は信じていると思うが、実は必ずしもそうではなかったのだ。

身近には、交通事故で「むち打ち症」になると、病院では、牽引、電気治療などの物理療法、投薬、頚椎カラーなどのお決まりの処置が常である。患者の立場ではこれで快方に向かうとひとまず安心するのである。しかし、学際的で中立的な研究により、これらの病院での治療方法は、ムチウチ症には全く効果がないだけではなく、むしろ症状を悪化するという研究結果が報告されている。全ての人に平等に医療を提供することは大切であるが、その内容が根拠に基づかないものであれば話しはややこしくなる。

イギリスでは、治療効果のないものは省き、効果のあるものを医療に反映させることにより、医療費削減にEBMの考えを活用する概念もつくられている。一方、上下を重んじる日本の社会においては、ある医療行為が根拠に基づいているかどうか、恩師や先輩に批判や批評を行うことは、医療の世界以外でも困難な土壌であると言える。いったい医療は誰の為にあるのだろうか。

アメリカのグローバルスタンダードが必ずしも全てよい訳ではなく、国益を最優先にした外交政策には嫌悪感を持つが、社会の隅々まで権力の抑制と均衡というシステムが整備されている面においては、素直に日本も学ぶべきところである。日本の社会では医療の世界を筆頭にして、透明性や説明責任を重んじないでやってきたこれまでの経緯から脱却し、医療の標準化・EBMという医療のグローバリゼーションへの積極的な姿勢を望んでいる。


《注釈》国際化とグローバル化は意味が少々異なる。国際化とは、ある活動において国家の主導的役割や政策介入があるのに対し、グローバル化は国家の介入や役割は前提としていない。

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