貴方の知らないことは見過ごしてしまう ‐新入学された皆様へ

ーNCA西日本本部ニュース巻頭文よりー

NCA西日本本部相談役 荒川 善治

毎朝、眠気まなこで日経新聞を眺めていると、社会のパラダイムが古いものから新しいものへ転換していくさまに、加速がついてきたような感を昨今覚えるようになった。

経済面に目を移すと、ただ売ればよかった消費者不在のメーカー主導型による流通支配から、流通業が主導する生活者対応型社会へと経済の体質が明らかに転換期を迎えているのが分かる。今、日本の企業に求められているコンセプトは、『生活者のために…』という一語につきるだろう。今日の生活スタイルの変化は、消費者起点の発想を明碇に求められている。さらに市場での競争は、製品対製品から、車対家といった異質なカテゴリー間に競争形態が変化していくことも予想されているから驚く。企業側は多様な生活者の二一ズに対応できるよう、常に生活者マーケティングの視点に基づいた商材の提供を求められ、その社会的責任まで数値で評価される時代に突入している。

さて、我々もこのような企業努カを決して対岸のものと見るのではなく、カイロプラクティックに携わるものも同様、常に患者さんの視点に立ったケアを求められるのだが、はてこれがなかなか難しい。

今から1O数年前のことだが、来目されたGood Heart,D.C.のセミナーで、いまだに忘れない話がある。

「あるドクターが、『顎関節症を持った多くの患者が毎日来られるので大変だ』と嘆いていた。それを聞いた別のドクターは、『いや私のところへはそのような、顎関節症の患者はほとんど来ないよ』とすずしげに応えていた」このように話された後、Good heartは、真剣な顔つきで『貴方の知らないことは見過ごしてしまう」と断じられた。ドクターが偏狭な視野のもとで患者を診ることにより、どれだけの不利益をその患者に与えるかを説明され戒められたのであった。私の日々の臨床で、この一言が今も頭を過ぎるのである。

その後、仲間の談笑のなかにも同じような話をよく耳にした。おかしかったのは、「今までずっと左後方寛骨ばっかり来るねん。なんでやろ」「そんなん知らん」と、私は言ったかどうか記憶にないが、検者の考え方や見方ひとつで結果は大きく左右されるのだから恐ろしいものである、なにも知らずにペットでうつ伏せの方はもっと恐ろしいのだが。さらに実際の臨床では、パイオメカニカル面での異常に加えて様々な問題が絡んでいるのが大半であるから、問題をより一層難しいものとしている。

では、自分が知らないものを見過ごさないようにするには、どうしたらよいのだろうか。独善的な狭い視野のなかに息者さんを押し込めない様にするには、どうすれぼよいのか。そのこたえが国際基準のカイロプラクティック教育を目指すNCA学園での学修に他ならない。将来的にプライマリーヘルスケアの立場を享受できる目が訪れたとしても、診断権を有することと、正確な診断ができるのとは別物です。それに至る道のりは決して易しいものではないが、NCA学園のカリキュラムに基づいた継続的な学修が達成されるなら、その可能性は現実のものへと近づくことでしょう。

皆様よりほんの少しですが、先にカイロプラクティックの勉強を始めた先輩として、NCA学園入学という最善の邊択をされた皆様に、心より歓迎の意を表します。これから一諸に「学ぶ」喜びを共有しましょう。

NCA西日本本部ニュース『フラクタル WEST』季刊第5号(1998年5月)より転載


グローバル化時代の健康政策

ーNCAカイロニュース巻頭文(1997)よりー

荒川善治

ある日の夜、聞き入っていた虫の音をかき消すように電話のベルが鳴った。準大手の証券会社本社に勤める旧友からである。「○○証券と合併するらしい。企業再構築を図るため、自分の所属する部署はなくなるらしい」と。彼は火の粉が自らに降りかかるやいなや奉公先を振り返り、あらためて企業体力のもろさを嘆いていた。昨今の報道どおり、金融界はグローバル化時代を迎え、既に欧米で淘汰され生き残った金融機関等との競争になるのだから、合併は仕方のないことであった。

私は冷静さを欠く友人に、釈迦に説法するがごとく、悪いのはこれまでの官主導の保護行政だと、気休めにもならない持論をぶっていた。というのも金融業界の秩序が維持できたのは、大蔵省による銀行証券分離制度など、専門性・分業性を特徴とした行政主導のおかげであり、そのような市場環境に強い不満を抱いていたからである。このような棲み分けは言葉を代えると、競争のない過保護に育てられたものの縄張りでもあった。

ところで、日本の医療行政を棲み分けという観点から振りかえると、カイロプラクティックはあまりにも鮮明であり、かつ無残であった。カイロを取り巻く環境にも変化の兆しはあるのだろうか。

今日、国際間を往復する人・資源・技術・情報の量の著しい拡大によって経済の国境がなくなり世界的な規制緩和が進みつつある。日本でも運輸省指導の航空業界、郵政省における通信業界が呼応してこれまでの棲み分けを撤廃している。しかし、これらの巨大な潮流は経済の世界にのみ踏みとどまるものだろうか。

事実はそうではなく、経済構造転換の重要政策であったはずの規制緩和が、すでに労働面における「女子保護規定の廃止」等と本来の対象以外のものへ波及し始めている。医療・厚生の分野では、営利法人(企業)による病院経営の容認や、マルチメディアを活用した遠隔診療の認可など従来では考えられないような方針を打ち出しており、閉鎖的な医療の世界へもその波が押し寄せているのは喜ばしいことである。 

だが私は規制緩和が無条件に正しいと考えている訳ではないし、国際化の進展の中で国際的基準がアメリカ的基準だからというわけでもない。経済のグローバル化に追随するおびただしい情報量と人の交流の結果に大いに期待をよせているのだ。

何故ならカイロ業界の命運を決定づける行政による健康政策とは、文化とイデオロギーによって形成される価値観という健康感に基づくものであるからだ。それゆえ実質本位の世界観を万人と共有できる日を心待ちにしている。私には業界の自主努力以外に、これらのパラダイム・チェンジがカイロプラクティックの法制化に必要不可欠の土壌であるように思えてならない。

さて、このような展開で話を進めると、意外や法制化のカウントダウンは目前に迫っているかのようである。「進んだ日本、遅れた中国」という「神話」は、世界史の長いスパンでみれば単なるタイムラグの問題といわれることがある。同じように近未来には、カイロプラクティックにも国境が存在していたことなどほんの一時期だったと振りかえられることになるだろう。秋の夜長、このように考えるのは私だけであろうか。

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