今年の3月に同志社大学を卒業し、東京の広告関係の制作会社に就職するために引っ越すことになり、京都南カイロも辞めることになりました。働き始めてまる2年・・・早いです。カイロプラクティックだけではなく、アロマテラピーや姿勢・栄養などいろいろなことを学ばせていただきました。昔からめったに風邪を引かない元気な身体でしたが、肩こりと花粉症にだけはずっと悩まされていました。先生からはカイロプラクティックトライアングルの3要素である「精神」・「構造」・「栄養」の大切さを教えていただきました。この3要素を毎日気をつけるようにしていると、背中の後に感じていたおもりが少しずつなくなってきたと感じています。

一つ目の要素である‘構造’とは、骨盤のゆがみや肋骨の位置など骨格の健康のことです。私はコンピューターに向かい作業していると、すぐ猫背になってしまいます。姿勢の管理ができていないようです。このような理由で肩こりから痛みを感じたときには、マッサージやストレッチをしたり、構造的な原因で痛みが悪化するのを自分で改善したり予防するように努めています。

二つ目の要素である‘栄養’については、”We are What we eat.”と先生がいつも言われているように、「毎日の食事で私たちの身体はつくられていること」の大切さを知りました。料理も少し食材に凝ってみたり、栄養を摂りやすく安全な調理法を使ったりと少し手間をかけるようになりました。フラックスオイルのドレッシングで食べるサラダは毎日のメニューとなりました。しかし、食事だけではどうしても補えない栄養素を摂るために、サプリメントも飲んでいます。食後のマルチミネラルビタミンと食品添加物のティートリーを飲むことは、肩こりと花粉症である私の大事な日課となりました。

最後に、三つ目の要素である‘精神’面のアプローチとして、アロマテラピーを利用しています。例えば野生ラベンダーは酢酸リナリルの量が多いことから、その芳香分子が嗅脳から大脳そして視床下部へ伝わり、リラックスする脳内物質が分泌されます。ストレスを感じる時などはとても重宝するセルフケアだと思います。院内はこのような香りで包まれているので、患者さんへのリラックス効果に一役かっていることだと思います。治療院の仕事の中では、アロマオイルのトリートメントが一番好きでした。それまで、部活動でトレーナーなどしていた経験はあったのですが、特に勉強したわけではありませんでした。アロマの精油の効能や筋肉やリンパなどを勉強させてもらいながら、トリートメントに取り入れていくようにしていました。はじめは力の加減が分からず、患者さんにご迷惑をかけてしまうこともありましたが、トリートメント後に患者さんから「気持ちよかったです。ありがとうございます。」などの声をいただいたときは、とても励みになりました。

治療以外では、私のように大学生のスタッフも多かったこともあり歓迎会や忘年会などで先生に御池周辺のおいしい食事処を連れて行っていただきました。松坂牛(M’s)やフォアグラ(Alice)を食べたのも人生で初めてでした!それ以外にも串かつ(ぼて)、うどんそば(助六)など、再び自分で食べに行ってしまうほどおいしかったです。先生や奥さん、同じアルバイトの皆さんとともに、楽しい時を過ごす事ができ、とてもよい思い出として残っています。

患者さんにもご迷惑をお掛けしてしまったことも多くありましたが、この2年間、治療室で働きながら勉強させていただき、本当にありがとうございました。治療室で教えていただいた健康生活をこれからも是非続けていきたいと思います!!

追記:

私は、昔から足がだるくなりやすく、自分自身でも歩き方がおかしいなと思っていました。特に右足裏の外側の肉厚が薄く、足が着地するときに外側に傾いてしまうと感じていました。長時間動いていると、右の股関節がしびれて痛くなり、時々動けなくなることもありました。そのため、ファイテンのチタンの含まれたテープを張ったり、ジェルを塗ったり、チタン水を飲んだりなどして、痛みが酷くなるのを予防していました。また、足のだるさだけではなく、肩こりや腰痛がひどく、最近では、仙腸関節が痛くなり、寝るときに湯タンポのようなもので温めて寝ているほどでした。

大学卒業と同時に治療室を辞めることになったので、初めて先生に体の状態を診ていただきました。まず最初の立位検査だけで先生はすごく驚かれていました。膝関節は過剰に伸展していて膝から下の部分が内側に捻れ外側に倒れていました。普段見慣れた自分の足ですが、先生の拳がたてにして楽々入る膝下の隙間は、治るものならよくしたいと思いました。しかし先生の立ち方の指導を受けただけでその隙間がなくなりました。膝から下がくっついたのです。正しい立ち方だけでこんなに変わるなんて不思議なものですごく驚きました。

次に足の痛みの原因を調べていただくと、前足外反変形という足のかたちをしている事が分かりました。人間は歩行時の足を着地させるときに、足の関節をロックさせるようになっています。正常な人は、水平に足指がならんでいるのですが、私の足はロックさせる関節面が外側から分からないけど変形していて、足指の並び方に角度がついているそうです。外側がそのため、立つときに親指に重心をかけなければならないのに、足の外側に重心がながれてしまうのです。足が着地するときに傾いてしまうと感じていたのは、それが原因だったのです。本来は体重や地面からの衝撃を緩衝させるための足のアーチが全く機能しておらず、膝から下の筋肉の外側が慢性的に伸ばされている状態でした。

また、骨盤がゆがんでいる事もわかりました。左の腸骨が上にあがりそして後方にすこし回転し、右の腸骨はその逆の形で捻れたような状態になっていると関節模型で教えていただきました。治療後は全く力が入らなかった足の筋力が正常になりました。また左右で立ったときのバランスの悪さも改善されていました。

私は腕の力も胸郭部の機能的な問題で全く入りませんでしたが、足と同じように筋が抑制を受けていたようです。タイに行ったとき、トレッキングについていけなかったのも当然のことと分かりました。今は筋力モリモリで、あんなに辛かったトレッキングですが、再チャレンジする日が楽しみになってくるほどです。

(2008年2月)


サワディーカップ(こんにちわ)!!9月に3週間のタイ旅行に出かけました。バンコク、アユタヤ、スコータイ、チェンマイ、サムイ島の5か所を周る3週間の旅行です。安宿での宿泊、バス・電車移動でツアー旅行では見れないようなタイの日常も近くで見ることができました。

バンコク(到着日)

バンコクのスワンナブーム国際空港に着きました!夜中の12時だったので、とりあえず、空港のベンチで睡眠をとりました(笑)。そして、朝起きて、空港バスに乗ってバンコクの中心部に移動しました。タイのバスは、止まる場所を放送しないので、気をつけることと、大きな荷物を持ちながら、バスや電車をおりた後は、タクシーの運ちゃんが集まってきて、がんばってだまそうとしますが、絶対ついていかないで下さいね。私は、途中変なところで下ろされました・・・。

いくつかのトラブルもありましたが、タイ政府認定(T.A.T)の旅行会社に行き、そこで3週間の宿と都市間の移動代を予約しました。個人のパック旅行のような感じにはなりますが、探す手間が省けるので、時間を短縮できますし、わからないことがあれば電話して聞くことができるので安心です。次の日は、いよいよアユタヤへ出発です!

アユタヤ(2日間)

アユタヤは、バンコクから電車で1時間半のところにある都市です。バスと同じく、電車もどこについたか放送しないので、アユタヤらしい駅でチケットを駅員さんにみせて確認していました。

タイではタイ語ができなくてもあまり困ることはなかったのですが、このときだけは駅の表記がタイ語のみで読めむことができず、さすがに困りました。自分の勘と時々車両をまわる駅員さんに尋ねながら、降りる場所を確認し、やっとアユタヤ駅に着きました。電車から降りると予想通り、タクシーのおじさんたちが一斉に集まってきました。旅行会社が手配してくれたゲストハウス(安宿)までの迎えを待っていると、その中に私が「また勧誘か・・・」と軽くあしらった人が、もう一度声をかけて来てくれて、その人がゲストハウスまで送ってくれる方でした(><)うたがってすみませんでした!!しかし、タイに来て駅前で相手から声をかけてくる時は80%以上がタクシーやホテルの勧誘、あわよくば騙そうとする人たちなので、誰を信じていいのかと思わされることが多かったです。(バンコクに着いた当初、メチャクチャ安い値段でタクシーに乗ったら、知らないところでおろされました。ひとつでも隙を見せたら荷物をもっていかれそうな経験をしたので・・)ゲストハウスには無事に着きました。シャワーを早速浴びたら、水だけしか出ず、時間が経つと水圧が下がってしまうようなおんぼろシャワーでしたが、ゲストハウスのおばあちゃんはとても愛らしく、優しそうでよかったです。ついてから、さっそく市内観光に繰出しました。

アユタヤは多くの遺跡が残されていて、山田長政で有名な日本人町もあります。街がお堀の川に囲まれていて、外側はトゥクトゥク(タイの伝統的なバスタクシー)をチャーターしてまわり、雨季の湿気が多く、Tシャツの汗が絞れるほど日照りの強い中、内側は自転車で回りました。タイは野犬が多いのですが、暑さで犬も猫もぐったり・・・道端にねっころがっていて、バイクに引かれそうになるほど夏バテしている犬もいました。

アユタヤでの一番の思い出は、タイマッサージです!!実は、私、プロからマッサージを受けたことがありませんでした。タイマッサージは足から始まり、最後に顔、頭で終わります。筋肉を押したり、のばしたりとどこを触れば、気持ちよく感じるのか記憶しながら、マッサージを受けてきました。この経験を病院でのトリートメントでも生かしていきたいと思っています。マッサージが気持ち良すぎて、アユタヤがとても名残惜しく感じましたが、次の街チェンマイに向かいました。

スコータイ(1日間)

スコータイは、アユタヤからバスで7時間ほど移動したところにあり、タイ人が生活している新市街と歴史公園のある旧市街があります。

スコータイはタイ人が初めて王国を建国した場所です。スコータイが滅びた後は、熱帯雨林にずっと眠っていたので遺跡の保存状態もよく、スコータイ様式という特徴的な建築物や仏像を見ることができます。現在のタイや日本にある男性的で威厳のあるブッタ像とは違って、スコータイのブッタ像は、体はほっそりとし曲線に富んでいて、女性的で穏やかな表情が魅力的でした。

スコータイは、小さい街ですが、歴史の詰まった場所でした。あと、スコータイは虫が多いと聞いていたので、エッセンシャルオイルのラベンダーを持っていって、肌に塗っていました。ラベンダーのおかげで、虫にかまれませんでした!虫刺され後もラベンダーは重宝するので、ひとつ携帯しておくと安心です。小さいですが、空き地市場にも行きました。

チェンマイ(5日間)


チェンマイは、スコータイからバスで8時間移動したところにあります。タイの京都と呼ばれるように、手すき和紙や銀製品、陶器など伝統産業がさかんな都市です。

チェンマイは、北部の中心地でタイ人が建国したもう一つの国です。都市近郊には、山岳民族が住む山々が広がり、トレッキングにも行きました。トレッキングでは、雨が降って、道が川となり、ひざ上まで水につかりながら、熱帯雨林の山を登りました。私たち以外ヨーロッパ人だったので、私の短い足でみんなの速度に合わせるのは大変(><)急な山道に入ると、足がつりそうになり、いまにも砕けてしまいそうでした。

夜は、山岳民族の村にある山小屋に泊まりました。シャワーがあると聞いていたので、安心していたのですが、ポリバケツの中に溜めてある水がシャワーの代わりとはさすがに驚きましたが(・・。)しかし、山小屋から見えるどこまでも連なる山々と広い空は、なんともいえないくらい雄大でした。タイ人の故郷はチベットと聞いていたので、この山のずっと先にあるチベットからタイ人はやってきたんだなあ〜と歴史のロマンを感じていました。

次の朝、私はトレッキングのつらさに耐えられず、途中下山し、市内観光で寺院を巡りました。チェンマイの寺院は北部だけあって、中国の影響が強いのでしょうか真っ白な建物や龍の像が印象的でした。そしてチェンマイは、さすがタイの京都といわれるくらい伝統工芸がさかんでした。日常でも使えるように、おしゃれにデザインされた陶器やアクセサリーが多く、ついついお財布の紐がゆるくなってしまいました。

次に、タイに行くときは、チェンマイよりもっと北にいったところにあるチェンラーイという街にもいって、かの有名な首長族に会いたいですね〜。いよいよ、次の街はサムイ島です。電車で途中のバンコク1泊はさんで、2日間まるまる移動です。さすがに、タイは広いなあ~と実感させられました。

サムイ島(5日間)

サムイ島は、タイ南部の東側の海に浮かぶ島です。私は、比較的静かなラマイビーチのすぐ側にあるバンガローに泊まりました。サムイといえば、ビーチリゾート!!砂浜で一日中過ごしていると、いっきに肌が黒焦げになりました。サムイの近くにあるタオ島の近海でダイビングにも出かけました。タオ島はジンベイザメやカメが見れるスポットとして人気があるのですが、さすが雨女の私!ダイブしている途中から大時化・・・しかも、船がオンボロで水がたまり、デジカメが故障してしまいました。でも、おいしそうなアジやカマスの群れを見ることができ、大群のむれがとてもきれいでした。なので、ぜひ、タイに行ったら、ダイビングしてみてください!

バンコク(3日間)

最後、日本に帰国するため、空港のあるバンコクに戻りました。バンコクでの3日間は、やはり日本へのお土産を買うべく、中心部にあるデパートやナイトマーケットにくり出していました。タイといえば、タイシルクと思い、ジムトンプソンというブランドの店でお土産を購入しました。友達にお土産を渡すなら、ナイトマーケットの商品でもいいのだけれど、目上の人やきちんとしたものをプレゼントしたい場合には、是非ジムトンプソンの商品をおすすめします。ブランドといっても、日本に比べると、安いのでご心配なく・・・。また、タイで一番気に入った料理のタイスキを二回同じ店に行って食べました(笑)ちなみに、タイスキの語源は、タイのスキヤキって言う意味なので、日本がルーツのちゃんこ鍋のような料理です。辛いものや香草料理に飽きてしまったときのタイスキは染みますね。

3週間の旅行で、タイのいろんな地域に行くことができました。タイの人々は、とてもフレンドリーで、英語もとても上手でした。映画の「アンナと王様」に出てくる宮殿・寺院の多い所やブランドが入ったデパートが並んでいるような発展している地域もあれば、すぐそばには貧しい家が立ち並んでいたり、限りなく続く田んぼが広がっていたり・・・長期滞在することで、いろんなタイを見ることができました。今度タイに行くときは、旅行ではなく、ぜひタイマッサージを習いに行きたいです!!

就職して1年程で指に痛みを感じ、整形外科に行きました。毎日、毎日コンピューターを打っていて「指の使いすぎ」と診断されるのは予想していましたが、仕事量を減らし、マッサージを続けていたのに腕や肩まで痛みだし、そして指の力も全く入らなくなり、しびれもどんどん酷くなりました。

接骨院や神経科などあちこちに相談しましたが、リュウマチ、四十肩、神経痛、etc。「私はまだ20代前半よ!」と情けない思いでした。痛み止めを飲んだり、注射したり、電気をあてたりいろいろ試されたけど、痛みは増していき、医者への不信感は膨らむばかりでしたが、自分ではどうしていいか解らず言われるままを続けていました。それでも最後の望みを託して9ヵ月間ほとんど毎日通ったところでも「これ以上来てもらってもうちでは手に負えません。」と冷たく言われ、その頃には、あちこちの痛みとしびれで夜が寝つけないく、身体はいつも重くて、何をしてもすぐに疲れ、ペンで字を書く事もむずかしく、結局その間休んでいた仕事を辞めざるを得なく、何もかもがマイナスの暗くジメジメした生活を送っていました。両親や長いつき合いの友達にも人相が変ったと指摘され、顔に若さがない、輝きが全く感じられないとよく言われました。

それから丁度、半年程して今まで名前さえも馴染みのなかったカイロプラクティックにお世話になろうと思ったのは、実際、京都南カイロプラクティックで腰痛がよくなった知人の積極的な勧めがあったからです。正直「もうどうでもいい、何だっていい、どうせ、どうせ...」という気持ちのまま、勧められるままに予約をとりました。けれど1日目にして、私がこれまでかかった他の医者とは違い、具体的に痛みの原因と症状との関連を説明していただいたときに初めて「もしかして!」という希望が持てました。腕や肩の痛みが上のほうの肋骨と鎖骨の間隔(胸郭出口症候群)からきているなんて考えたこともなかったし、又、つながりがあるとは思いませんでした。けれども解剖の図譜を見せてもらいながら先生の話を聞いていると確かに思い当たること、うなづけることが沢山あり、不思議な気持ちになったのを覚えています。日に日に良くなるという訳ではないけれど、一進一退を繰り返しながら本当に無気力でしんどくて何をするのも億劫で、いつもいつもどんよりした気分でいたのが少しずつ楽になり、力もはいるようになりやがて痛みもしびれもなくなってゆきました。毎日9ヶ月通った病院でよくならなかったのが、わずか週に1回の治療でそれも数ヶ月でこんなに良くなるなんてほんとに驚きです。そしてカイロプラクティックを紹介してもらった友人の勧めもあって、この9月からは週2回ではあるけどもカイロプラクティックでお手伝いさせて頂いてます。

なかなか思うように出来ず「むいてないな。」と落ち込むこともありますが、からだのことを真剣に考えて下さる先生、いつもやさしくてパワフルな大下さんの影響力大で、私も頑張ろうという気になります。そうは思っているのにいつも失敗ばかりで迷惑をかけていて本当にごめんなさい。ひたすら自己嫌悪です。私がカイロプラクティックで良くなったことを生かし、1日も早く優しく上手に患者さんを励ませるようになろうと思います。まだまだ沢山の不手際があるかと思いますが、よろしくお願い致します。

キャンギャル夏の体験記

ガテン女 by Being

今年の8月に新大阪空港の近くのサーキット場で「三輪車8時間耐久レース」という三輪車を改造して競い合うという風変りなレースが行なわれました。このレースは、関西TV「紳助の人間マンダラ」主催によるもので、参加チームは島田紳助さん、掛布さん、オール巨人さん、中野浩一さん、加藤浩一さん、中条かな子さん、土建屋よしゆきさん、吉本新喜劇の若手芸人さん、各チームと一般から応募したチームです。(一般出場者には予選があり、勝ち抜いたチームが出場できます。)参加メンバーを見るとおちゃらけたレースを想像されると思いますが、これは想像を絶する過酷なレースとなりました。テレビをご覧になられた方はお判り戴けると思いますが、小さな子供さんが乗るあの三輪車に、大きな大人がまたがって、なんと!8時間もサーキットを走り続けるのです。不自由な姿勢で長い時間漕ぎ続けるにはアンビリーバブルな脚力と忍耐力、精神力などが必要です。

レースの前段階として各チームは創意と工夫を凝らし、大人の重量と長時間の走行に耐えられるだけの三輪車造りから始まりました。三輪車には予算制限がなく、5万円前後のチームもあれば、30万円もかけて造ったチームもあります。三輪車の装飾もなかなかユニークなアイデアに富んだものがズラリとスタート地点に並んでいます。果して、最後まで走行し続けることができるのでしょうか。  

開会式が始まり、各々のチームスタッフと走者の紹介があり、キャンギャルやタレントと写真撮影をしたりして、場内は賑やかなムードの中でスタートしました。

実際、レースがスタートしてからの三輪車の走りを見ていると、車体(骨組み)が強固に出来ているチームもあれば、長時間の走行に絶えきれず、走行中にタイヤが外れたり、ペダルが折れたりと、絶えずトラブルを起こすチームもありました。この日は特別暑かったこともあり、タイヤが焼けてピットに入るチームが多く、タイヤのスペアがなくなり、近くの玩具屋さんまで買いに走ったチームもあった様ですが、自分達の造った三輪車のトラブル続きに、メカ(普段は車やバイク専門の人が大半)の人達も慣れない作業を手伝い、不安げな表情を隠せない様でした。

順位は変らず、三輪車に30万円も掛けたチームが、スタートをしてからずっと1位をキープしています。2位以下は接戦となり会場は盛り上がり、観客たちもスタート直後は、大人が三輪車を漕ぐ見慣れない滑稽な姿に、笑い声があちこちで聞こえていましたが、その声も走者たちを必死で応援する声に変っていきました。

私が手伝っていた土建屋よしゆきチームは、予選では2位の成績で、優勝候補とまで期待されていたのですが、走者の1人がスタートしてすぐに足の筋肉が痙攣し、順位はどんどん後退していきました。これでは先行き心配です。

スタートしてから6時間程経過したころ、雲行きが悪くなり、雨が降ってきました。走者達の疲れきった苦しそうな表情がはっきりと伺えます。同じサーキット場を何周もするので、足の筋肉がパンパンに張ったり、腰痛をおこしたりで、ペダルを踏む力がますます弱くなります。ピットでは、トレーナーが手当に必死です。それでも一生懸命漕ぎ続ける走者の中には、若い女性や年輩の男性もいますが、心中皆同じにして、リタイヤしたい気持ちもすごくあったのだと思いますが、完走したい、やりとげたいという気持ちのほうが大きかったのでしょう。各人共、体力、気力の限界に挑んでいるように思われました。

ラスト1時間...30分...本当に厳しく、苦しい闘いも秒読み段階になりました。場内は「頑張って!」という声援でいっぱいです。最後の追い込みに入り、サーキットも走者達の激しい闘いが再び始まり、若い男性は小学生の男の子に抜かれまいと必死になり、小学生の男の子は大人達を追い越したいと精一杯に三輪車を漕ぎます。

ゴールには白いテープが張られ、会場にいる皆でカウントダウンをします。1位のチームがテープを切って次いで2位、3位と順番にどんどんゴールへ入ってきます。(1位は勿論、スタートからずっと1位を守ってきたチームで、私達のチームも走者の頑張りでめでたく6位でした。)

私は、まるで高校野球の応援団の一員ように、彼等の健闘した輝かしい姿に感激して、涙が出てしまいました。この大会に参加したチームやスタッフは、皆ボランティアですが、それでも走者を含め、スタッフ達が一つの目標達成の為に一丸となれたことに感動しました。

今、体験記を書くにあって(ホントは書かされている)レースを思い起こしていると、日常生活でそのような感動があまり体験できないのはどうしてだろうと、ふと疑問がわいてきました。

現在、職業というものは、単に生活の糧を得るための手段にすぎなくなってきていることが多いようです。天職だといった考えや社会のためになる、また職業を通じて「自己実現」をしていくという本来の目的が失われ、自分の職業に対する誇りや創造の喜びがなくなってきていることから蔓延してきているのでしょう。自己中心的な生き方が尊重され、自分本位に生きることに価値観がおかれ、お互いが、共通の理想、同じ主義主張のもとに集まり、それにふさわしく行動するより、自分の好むとき、部分的におつき合いしましょう、といった時代に生きているからこそ、このレースに参加してこんなにも感動できたのだと思います。今回の体験を機会にして、自分の成長と共に少しでも社会の為に貢献できるよう頑張っていきたいと思います。

 

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